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ホタルのころ [雑感]

 もう長いこと、部屋の中にホタルが迷いこんでくることはありません。ホタルの見られる場所に出かけると、大量のホタルが一斉に明滅していますが、こどものころには、電灯を消した家のなかをふらぁと一匹、飛んでることがありました。


  思ひ出は首すぢの赤い螢の

  午後(ひるすぎ)のおぼつかない触覚(てざわり)のやうに、

  ふうわりと青みを帯びた

  光るとも見えぬ光?

            (北原白秋)


 中国の『礼記』には草が腐って螢となると記されているそうです。本邦の和泉式部はまた、螢火を自らの魂と見た。(久保田淳『古典歳時記 柳は緑 花は紅』)


  てうつしにひかりつめたきほたるかな (飯田蛇笏)


 夏の夜に防波堤にいくと、海の中に海ホタルがたくさん漂っていることがあります。掬いとってみると、手のひらが青くひかります。


  <夏はよる。月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。>(枕草子)


 これから寝苦しい季節になりますが、ホタルが迷いこんできたころを思い出しながら、夜の雨を聞いているのもいいかもしれません。





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しのぶべき六月 [読書]

 もうすぐ梅雨入りのようです。この季節になると伊東静雄の「水中花」という詩の一節を想いだします。彼は諫早の生まれで、大阪・旧制住吉中学で先生をしていました。教え子には小説家の庄野潤三や童謡「サッちゃん」の作詞でも知られる阪田寛夫がいます。


  今歳(ことし)水無月のなどかくは美しき。

  軒端(のきば)を見れば息吹のごとく

  萌えいでにける釣しのぶ。

  忍ぶべき昔はなくて

  何をか吾の嘆きてあらむ。

  六月の夜と昼のあはひに

  万象のこれは自ら光る明るさの時刻(とき)。


 彼の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』は口調はいいですが、意味のとりにくい、複雑な構造になっています。杉本秀太郎『近代日本詩人選 18 伊東静雄』(筑摩書房)は、これを明晰に読み解いており、詩の解読とはこんなふうにするのかと、驚嘆します。


 庄野潤三『文学交遊録』(新潮社)には教師時代の伊東静雄の姿が生きいきと書かれています。そういえば『伊東静雄全集』の編者でもある作家・富士正晴の弟という先生と宴席で隣りあったことがあります。姉は野間宏の奥さんだそうです。庄野潤三の若い頃の話をうかがった記憶があります。


 六月になると、いろんなことを思い出しますが、もうみんな遠い過去です。

  

  

  

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牡丹のおもかげ [読書]

 三十年ほどまえ、奈良の長谷寺へ行って、牡丹を買ってきたことがあります。玄関の横に植えたのですが、花が終わると枯れてしまいました。 花に詳しい叔母に話すと、花は切って植えないと、負担が大きくて根付かないとのことでした。


  牡丹散て打ちかさなりぬ二三片 (蕪村)


 牡丹は寺院の前栽にみかけることが多いようですが、奈良時代に中国に渡った留学僧が持ち帰ったからだとされているそうです。 白楽天は「牡丹芳」に


  花開き花落つること二十日

  一城の人皆狂(たぶ)れたるが若(ごと)し


 と詠んでいるそうです(久保田淳『古典歳時記 柳は緑 花は紅』小学館ライブラリー)。



 また同書には、古典和歌では「牡丹」という字音を避けて「深見草 ふかみぐさ」というと書かれています。


  夏木立庭の野筋の石のうへに満ちて色濃きふかみ草かな (慈円)


 初夏に清々しく、華麗に咲く花は見事です。おもいつけばまた、長谷寺か当麻寺に出かけてみたいものです。


  ちりて後おもかげにたつぼたん哉 (蕪村)


 

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映画音楽のこと [音楽]

 先週末、家内が見ているテレビから「Stand by me」が聞こえてくるのには驚きました。映画の一場面かと思ったのですが、英国の結婚式の中継放送でした。


 この曲を聞くと、少年たち 4人が線路を歩いている映像が思いうかびます。あの映画のころ、わたしのこどもたちもちょうど、同じような年頃でした。


 映画の中で流れる音楽は、ほとんど映画を見ないわたしでも、いろいろ思いだします。古くは『太陽がいっぱい』や『ロミオとジュリエット』のテーマ曲・・・。 意外だったのは『鉄道員 ぽっぽや』で高倉健が、江利チエミのデビュー曲「テネシー・ワルツ」を口ずさむシーン。


 川本三郎は <高倉健は、いつも詫びていた。「すまない」と頭を下げていた。こんなにも、罪責感を心に抱えたヒーローを演じた俳優は、日本にも外国にもいないのではないか。> と書いています(『映画の中にある如く』)。


 是枝裕和監督の映画がカンヌで受賞しましたが、映画を観る根気が薄れているので、たぶん見ることはないでしょう。ときには、映画の本を読んだり、映画音楽を聴いたりすることはあるでしょうが。




 

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神話の住人 [読書]

 新宮市の熊野速玉大社の境内に、佐藤春夫の詩碑があります。「望郷五月歌」の一節が陶板に焼き付けられています。近くには彼の旧居も移築されています。


IMG_1664.JPG


   塵まみれなる街路樹に

   哀れなる五月来にけり

   石だたみ都大路を歩みつつ

   恋しきや何ぞわが古郷

   あさもよし紀の国の

   牟婁の海山

   夏みかんたわわに実り

   橘の花さくなべに

   とよもして啼くほととぎす

   心してな散らしそかのよき花を

   朝霧か若かりし日の

   わが夢ぞ

   そこに狭霧らふ

   朝雲か望郷の

   わが心こそ

   そこにいさよへ

   空青し山青し海青し

   日はかがやかに

   南国の五月晴こそゆたかなれ


 西脇順三郎は「文人佐藤春夫」という文章を書いています。


 <五月頃になると南仏をおもわせるマロニエの樹に花が咲き、七、八月になるとノウゼンカズラの花が咲く。 この家の主人は門弟三千人をようしたという文人であった。>


 新宮という町は背後に熊野の山々を背負い、南は太平洋にひらけていますが、隔絶された地域の雰囲気があり、神倉神社のお燈まつりなど、神話的な世界の匂いが漂っています。 佐藤春夫にもそんな種族のしるしが感じられるかもしれません。





  

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初夏になって [雑感]

 八十八夜も過ぎ初夏となりましたが、今日は一日、雨のようです。 連休にはこどもたち一家が帰省してきたので、家にも活気がありましたが、また静かな生活にもどりました。どういう訳か今朝は、久しぶりに腰痛がでてきました。


 10歳の男児が将棋を挑んできたので、もう勝てないかもしれないと思いましたが、2連敗のあと、2連勝して面目を保ちました。


 6歳の男児は、もっと足の爪は短く切れとか、この顔のブツブツは何だとか、いろいろ注文をつけてきます。見ていると兄弟喧嘩をしなくなっており、それぞれに学習しているようです。


 3歳の女児は、アカンベェをしたり、男児たちの行動に興味を示したり、もう少しで一緒に遊べそうです。


 こどもの頃に、共にまみれて遊んだという記憶は、重要です。何十年たっても親愛の情は薄れません。生きてゆく上で、もしかしたら最も大事な記憶かもしれません。


 家内と二人、静かだとかいいながら、また日常にもどっていきます。


  谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま (杉田久女)


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リュウと鳥 [読書]

 前回の「龍」と「竜」については(http://otomoji-14.blog.so-net.ne.jp/archive/20180423)、

やっぱり、高島俊男さんの『お言葉ですが・・・』(文藝春秋 1996年刊)に「龍竜合戦」という一篇がありました。 橋本首相が誕生したとき、朝日新聞は橋本龍太郎と書き、毎日新聞は橋本竜太郎と書いていて、不思議に思ったそうです。


 新聞社には、何か略字を使う社内規定があるようで、坂本竜馬とか芥川竜之介になるのかなとのことでした。ただ、数日後の毎日新聞に載った「サンデー毎日」の広告では橋龍になっており、村上龍対談坂本龍一というのもあったそうです。


 岩波書店は新聞社ではありませんが、なにか社内の決りがあって、芥川竜之介、橋本龍太郎になっているのでしょう。


 このあいだから読んでいる『目からウロコの自然観察』(中公新書)には、身近にあって知らなかったことが、たくさん書かれています。


 これからの季節、ツバメは軒下に泥で巣を作って、子育てしながろ暮らしているのかと思っていましたが、


 <街中で繁殖を終えたツバメは、秋に南国に渡るまでどこでどんな生活をしているのだろうか。まだわからないことが多いのだが、7〜8月の夕方、ヨシ原などに集まり集団ねぐらをとることがわかっている。数千、数万の大群が上空を乱舞し、一斉にねぐらに入るシーンは実に壮観である。>とのことです。


 著者は2015年8月24日、中央自動車道の談合坂サービスエリア(上り線)で、日没前後に数千羽のツバメが一気に、ケヤキの樹にねぐら入りするのを観察しています。


 サービスエリアにいた人たちは、ヒッチコックの映画「鳥」を一瞬、思いだしたかも知れません。



 

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キョーミと観察 [読書]

 文庫棚を眺めていて、ふと気がついたのですが、新潮も角川も文春も「芥川龍之介」なのですが、岩波は「芥川竜之介」です。 「竜」は「龍」の略字で、常用漢字なんでしょうが、文学賞も芥川龍之介賞だし、人名を略字にするのはどうかなと思います。


 岩波書店は「龍」という漢字は使わないのかというと、『橋本龍太郎 外交回顧録』という本を出版しています。最近は変えているのかと思うと、2010年に出たのも『芥川竜之介俳句集』(岩波文庫)となっています。


 こんな問題は高島俊男さんが、どこかで指摘しているのかも知れません。 森鷗外も鴎外になっているというのを読んだことがあります。 ネットの「青空文庫」は「竜」、「鴎」となっています。


 興味のあることには目がいきやすいですが、関心がないと、知らないで過ぎてしまうものです。 唐沢孝一『目からウロコの自然観察』(中公新書)には、身のまわりにある知らなかったことが種々とりあげられています。


 <ウマノスズクサの葉は、千切るとひどい悪臭がする。葉は毒性のあるアリストロキア酸を含む。葉の毒は、本来は虫に食べられないための防虫剤として機能している。ところが、長い進化の過程で、アリストロキア酸に対して耐性を獲得した昆虫が現れた。それがジャコウアゲハである。・・・幼虫は食草の毒を体内に蓄積し・・・毒蝶が誕生する。鳥やカマキリがこれを捕食して中毒症状を経験すると、二度と捕食しなくなる。>


 さらに、ジャコウアゲハの模様に擬態して、毒虫になりすまして生き延びる蝶もあるそうです。 ただ、ボーと景色を眺めていても分からない、植物や動物の営みが興味深く書かれています。




 


 

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