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花火の日 [読書]

 きょうは隣町の花火大会です。しばらくすると遠い花火が夜空にみえ、十秒ほど遅れて破裂音が届きます。

 花火をみるたびに、十代のころの教科書に載っていた芥川龍之介の『舞踏会』という小説を想い出します。生の一瞬の輝きを花火にたとえた場面は印象的です。ひとは一瞬の輝きのおもいでを飼いならしながら生きていくのでしょう。

 昨年の夏、海辺の村の花火大会を一緒に眺めた義母の初盆で、今週末には帰省の予定です。義母はどんな想い出を大切にして生きていたのか・・・知るすべもありません。


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思考のくせ [読書]

 梅雨があけたのに天気が定まりません。今日も雨が降ったり止んだりでした。

 昨日、通勤の途中、車が走行中に急に、静かにエンストしました。左に寄せて止め、再起動するとまた動きだしました。先日も同様のことがあったので、今日は修理に出しました。

 エンストは英語では engine stall というそうです。stop ではないようです。

 若いころ、ハンスト( hunger strike )というのがよくありましたが、最近はあまり聞きません。抗議の意志を示すために、自ら食物を断つという行動です。

 いま読んでいる本は、秋山豊『漱石という生き方』(トランスビュー)です。著者は岩波書店で「漱石全集」の編集に携わり、漱石の自筆原稿を読み、掲載された新聞・雑誌にあたり、単行本との異同を調べるなど基本的な仕事をしたひとです。それらから見えてくる漱石の考え方の特徴が丹念に解明されてゆきます。

 たとえば、漱石はイギリス留学中に、鏡子夫人が手紙をあまりくれないのに対して「・・・多忙其他にて音信を繁くする事出来ずば何故始めより断はり置かざるや・・・」と書き送る。

 これは『坊っちやん』のなかで、坊っちやんが温泉街へ出て団子を食べたりすることが、教師としてふさわしくないと校長から批判されると、坊っちやんが、それなら辞令をだすまえに団子の嫌いなものを雇えばいいと胸中思うのと同じ思考の「癖」だと指摘する。

 漱石の生き方の癖が浮かびあがってきます。ひとはそれぞれに思考や行動の癖にしばられて生きているのでしょうね。


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台風の夜に [雑感]

 今夜は台風が四国に上陸するようです。窓の外では雨風のおとが絶えまなくしています。

 家内の実家は何回か浸水の被害を受けており、いつぞやらは、「だいじょうぶですか?」の問いに「電話どころではない、タタミを揚げている最中や!」ということもありました。

 浸水や土砂崩れは毎年のようにあり、何年かごとに地震があり、噴火があり、まれながら津波もやってくる・・・こんな風土的条件のなかで暮らし続けてきたことが、考えかたになんらかの作用をおよぼしているのはまちがいないでしょう。

 台風は電気を消して、通り過ぎるのを待っていれば、なんとかやり過ごせますが、原発で出る放射性物質の半減期は、あまりにも長く、はたしてやり過ごせるのか、経験がなく思慮の外です。考えられないことは考えないという状態に陥ります。

 2520億円の競技場は高すぎる、と即断できない感覚は異様です。常識の通用しない社会に住んでいるようです。いろいろ、なんかおかしい・・・と台風の夜に思うのです。


 

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セミが鳴いた [雑感]

 きょう、いっとき太陽が現れたとき、セミが一斉に鳴き出しました。ほんの数分でしたが、ことし始めて聴きました。そのあと、また雨が降りだしました・・・。

 動物学者の日高敏隆さんのエッセイにはよくセミの話題がでてきます。こどものころ東京にはクマゼミがいなかったとか、アメリカには十七年に一回とか、十三年に一回しか親のセミが現われないという変わったセミがいるとか。

 セミの鳴き声は夏のはじまりから終わりまでの時間の感覚にピッタリと一致しているような気がします。

 だれだったか、人間の興味は成長につれて、寿命の短いものから長いものへと移っていくといっていました。チョウチョ、トンボからイヌ、ネコ、そしてヒトへ。つぎは樹木で最後は石。そういう意味ではセミも寿命を意識させるいきものです。

 伊賀上野時代に芭蕉が仕えた人の俳号は蝉吟というそうで、後年、「閑さや岩にしみ入る・・・」と詠んだとき、そのことがおもいの中にあったはず、というようなことを嵐山光三郎が書いていました。


タグ:セミ
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宮城谷昌光の小説でない本 [読書]

 宮城谷昌光というひとは小説家です。以前、小説好きの友人に「どの本がおもしろいの?」と訊いてみると「・・・『天空の舟』。」ということでした。しかし、また『クラシック 私だけの名曲1001曲』という奇妙な本の著者でもあります。

 一見、普通の音楽の案内本のようでいて、開いてみると、名前すら聞いたことのない作曲家の曲についての、演奏者の違いによる聴き比べが延々と続きます。それでいてモーツァルトやマーラーの曲にはまったく触れていません。奇妙な避けようです。

 しかしペラペラとページを繰っていると、この演奏がいいという意見が、日頃のわたしの感想と一致する曲が散見されます。知らない作曲家の聴いたことのない曲についての感想を、手元に置いて、ときどき図鑑でも眺めるように、読んでいます。

 宮城谷昌光の小説は一冊も読んだことがないのですが、『随想 春夏秋冬』(新潮社)という本が出ていましたので買ってみました。
 
 「・・・。四十代のなかばでようやく『天空の舟』を商業出版することができた。小説家として第一歩を踏みだした私は、その本を小沼先生に贈呈したあと、妻をともなって先生宅を訪ねた。そのとき先生からいわれたことは、
「君の本は、あとがきが、よかった」
 ということであった。」

 先生というのは大学の英文科の恩師で、小説家でもある小沼丹のことで、就職の世話までしてもらったそうです。

 「ーーー 人はくやしいから小説を書く。」のだそうです。


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