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新書でも買って [読書]

 先日、久しぶりに商店街を歩いてみました。地方都市ではどこでも同じですが、シャッターの降りた店舗がめだちます。学生のころからよく立ち寄った本屋さんが開いていたので、覗いてみました。毎日のように出入りしていた頃に、こどもだった娘さんが立派なおばさんになってレジに立っていました。本の並びも変わりなく、小さな店にしてはそれなりの書籍が目につきます。

 かといってすぐ欲しい本は何回か見てまわってもなく、何も買わないで出るのも気がひけるので、新書でもと棚を見ていると、高島俊男『漢字と日本語』(講談社現代新書)があったので買ってきました。講談社のPR誌『本』に連載した「漢字雑談」をまとめたものだそうです。

 高島さんの本にはいつも蒙を啓かれます。

 <「華」と「花」は同字です。・・・どちらも音はクヮ、意味は「はな」なんだから見当がつきますね。華が本字(正字)、花が略字(異体字。クサカンムリに声符 化クヮをつけたもの)という関係です。「華」はややこしくて書くのに手間がかかるから、簡単な略字「花」をこしらえて間にあわせたのですね。> 魏の時代(三世紀)ごろのことだそうです。

 ちなみに、現代の中国には「華」の字はなく「化の下に十(华)」だそうです。そういえばテレビのニュースで簡体字が並んだスローガンなどが見られます。「中華」ではなく「中华(化の下に十)」ですね。

 最近は中国からの観光客が増えて、いろんな所に中国語の案内表示が目につきます。ゴミ箱に「土へんに立(垃)と土へんに及(圾)」の字が書かれているのをみかけますが、「ラチ」という中国語のゴミということばだそうです。十三世紀、南宋の人の随筆に用例はあるが、以後見当たらず、中国の辞書に載ったのは二十世紀になってからだそうです。外来語だろうということです。

 外国語の表示を徹底すれば、さびれた地方の商店街にも観光客や買物客が増えてくるかもしれないと、ふと思います。


  

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祖母のはなし [雑感]

 『福翁自伝』を読み終えて、ふと思い出したのですが、わたしの母方の祖母は若いころ、福沢諭吉に関係した家に行儀見習いか奉公かに行っていたという話しを聞いた憶えがあります。たしか「シダチさん」という家だったはずです。話しのなかに「福沢桃・・?」という人の名前もでてきました。祖母は明治24年生まれです。

 調べてみると諭吉の四女・滝(明治9年生)は志立鉄次郎という人と結婚しています。また次女・房の婿養子が福沢桃介という名前です。わたしの父親は何の折だったか、桃介だったかという人が、祖母を訪ねて来たことがあると言っていました。

 どんな事情だったのか、こどもの頃に聞いた、おぼろげな話しなので詳しくは分かりませんし、記憶ちがいもあるかも知れません。今度、叔父に会った時に、どんなことだったのか聞いてみようと思います。

 祖母は私の父親が出張で留守のとき、わが家に泊まりに来てくれました。母親といろんな世間話をしていましたが、とぎれとぎれに話しが耳に残っています。アメリカからケネディ大統領が暗殺されたテレビ画像が送られてきた朝も、大変だ〜とわたしを起こしにきました。

 わたしが自動車免許をとったとき、祖母は「耳鼻科へ乗せて行ってくれ」と、わたしの運転の初乗客になりました。その時、まっすぐは走れるが、右折や止めることができず、大冷汗をかきました。

 このブログを書くのに、記録をみていてびっくりしました。今日は祖母の命日でした。こんなことを思い出したのも何かの縁なんでしょうか。


 


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上野の桜 [読書]

 あと十日もすれば桜が咲くようですが、今日はときおり冷たい雨が降っていました。ぼつぼつ『福翁自伝』を読んでいると、いろいろおもしろい場面がでてきます。

 文久三(1863)年六月十日、緒方洪庵が吐血し、諭吉は下谷の洪庵宅に駆けつけるが間に合わない。門人たちが集まって通夜となる。隣に村田蔵六(後に大村益次郎)がいたので諭吉が「この世の中に攘夷なんて丸で気違いの沙汰じゃないか」という。村田は大変な剣幕で「どこまでもやるのだ」と言い、以前とは様子が違う。諭吉は「村田は変だ、滅多なことを言うな、何をするか知れないから」と朋友に気を付けるようにいう。蘭学徒は開国派が一般的だったのでしょう。

 明治元(1868)年五月十五日、上野戦争が始まる。「上野ではどんどん鉄砲を打っている、けれども上野と新銭座とは二里も離れていて、鉄砲玉の飛んで来る気遣いはないというので、丁度あのとき私は英書で経済の講釈をしていました。」ということです。「生徒らは面白がって梯子に登って屋根の上から見物する。」 新政府軍の指揮官は、あの大村益次郎だったはずです。福沢諭吉の真骨頂といった感じです。

 もうすぐ上野の桜も咲くのでしょうね。以前、不忍池に行ったとき、この池の上を大砲玉が飛んでいったのかと上野の山を見上げたことがあります。




 

 

 

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三月八日のこと [雑感]

 先日、気候がよいので散歩していると、菜の花や梅やミモザが満開で、野山はすっかり春でした。帰って調べてみると丁度、三月八日がミモザの日、国際女性デーでもあるらしい。

IMG_1739_2.JPG

 この日、女性にミモザの花を贈る習慣がある国もあるらしい。

 1917年3月8日(ユリウス暦2月23日)、第一次世界大戦のさなか、国際女性デーに合わせてロシアの首都ペトログラードで、食糧を求める女性労働者がデモをした。二月革命の発端だそうです。きっちり百年前のことです。ロマノフ王朝の行くすえや、その後の歴史は二十世紀を生きたヒトの遺産として申し送られていくでしょう。

 シャンパンをオレンジジュースで割った飲み物をミモザというそうです。アルコールは飲めないので春らしい色だろうなと想像するだけです。





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自伝の楽しみ [読書]

 三月になると寒さはましになって、風呂上がりに本を読んでいると、自然に眠くなってきます。福沢諭吉の『福翁自伝』(ワイド版 岩波文庫)は眠前に丁度いい愉快な本です。たとえば酒癖について

 「生まれたまま物心の出来た時から自然に数寄でした。・・・幼少のころ月代を剃るとき、頭の盆の窪を剃ると痛いから嫌がる。スルト剃ってくれる母が『酒を給べさせるからここを剃らせろ』というその酒が飲みたさばかりに、痛いのを我慢して泣かずに剃らしていたことは幽かに覚えています。」というのが幼時の記憶だそうです。。

 緒方洪庵の塾にいるとき「あたかも一念ここに発起したように断然酒を止めた。・・・親友の髙橋順益が『君の辛抱はエライ。・・・酒の代りに煙草を始めろ。・・・』と親切らしく言う。・・・忌な煙を無理に吹かして・・・凡そ一カ月ばかり経って本当の喫煙客になった。ところが例の酒だ。何としても忘れられない。・・・五合三合従前の通りになって、さらば煙草の方はのまぬむかしの通りにしようとしても、これも出来ず、馬鹿々々しいとも何とも訳けが分からない。」といった調子で、一万円札の顔があたかも動きだすような感じです。

 安政三年、塾生の諭吉が腸チフスになったとき、緒方洪庵は「乃公(おれ)はお前の病気を屹と診てやる。診てやるけれども、乃公が自分で処方することは出来ない。何分にも迷うてしまう。この薬あの薬と迷うて・・・病は診てやるが執匙は外の医者に頼む。」といってその通りにしたそうです。 諭吉は今にも緒方先生の深切を忘れぬと言っています。

 しばらくは寝る前の読書が楽しめそうです。




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