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在りし日の歌 [読書]

 今日はきのうと変わって、暖かそうな天気です。 岩波新書『中原中也』を書いた佐々木幹郎はむかし、よく現代詩手帖という雑誌で名前をみかけた詩人です。ねじめ正一、荒川洋治などの名もあったように思います。


 2000年から『新編中原中也全集』(角川書店)が出たのですが、佐々木幹郎が編集責任者だったようです。この新書には1967年から大岡昇平らの編集ででた旧全集以降に見つかった資料や、新全集刊行後に出てきた中原の手紙なども紹介されています。


 五十年ぶりに、その生涯や詩を再読すると、かえって自分が過ごしてきたこの間の歳月のことがよみがえります。いつのまにか中原中也は、わたしの子供たちよりも年下になっていました。それでも、いいなぁとあらためて感じる詩がいくつかあります。


      言葉なき歌


  あれはとほいい処にあるのだけれど

  おれは此処で待つてゐなくてはならない

  此処は空気もかすかで蒼く

  葱の根のやうに仄かに淡い


  決して急いではならない

  此処で十分待つてゐなければならない

  処女の眼のやうに遥を見遣つてはならない

  たしかに此処で待つてゐればよい


  それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた

  号笛(フイトル)の音のやうに太くて繊弱だつた

  けれどもその方へ駆け出してはならない

  たしかに此処で待つてゐなければならない


  さうすればそのうち喘ぎも平静に復し

  たしかにあすこまでゆけるに違ひない

  しかしあれは煙突の煙のやうに

  とほくとほく いつまでも茜の空にたなびいてゐた



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よみがえる詩句 [読書]

 19歳ごろ、南海電車に乗って、吊り革を持って車外を眺めていると

   腕にたるんだ私の怠惰

   今日も日が照る 空は青いよ

という中原中也の詩句が頭にうかびました。 丁度その頃、角川書店から『中原中也全集』が出ていたので、すみずみまで読みました。その後は遠ざかりました。


 最近、本屋さんに佐々木幹郎『中原中也 沈黙の音楽』(岩波新書)という本が並んでいました。そばを通るたびにちょっと中身をながめたりしていたのですが、まぁいいかと戻していました。そのうちに見えなくなりました。


 それが先日、また棚に立てられていました。まぁいいかと買ってきました。五十年まえの記憶が蘇ってきます。


    一つのメルヘン

  秋の夜は、はるかの彼方に、

  小石ばかりの、河原があって、

  それに陽は、さらさらと

  さらさらと射してゐるのでありました。

 

  陽といっても、まるで硅石か何かのやうで、

  非常な個体の粉末のやうで、

  さればこそ、さらさらと

  かすかな音を立ててもゐるのでした。

 

  さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、

  淡い、それでゐてくっきりとした

  影を落としてゐるのでした。

 

  やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、

  今迄流れてもゐなかった川床に、水は

  さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました......

 

 


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そこはかとなく [読書]

 所用で先週は関東へ出かけました。滋賀の伊吹山にはうっすらと雪が見えていましたが、富士山は頂上まで山容を現しているのに、雪はまったくありませんでした。さきほどの台風の影響のようです。


 11 月になると、そろそろ紅葉の季節ですが、まだ、どこでもあまり見かけませんでした。そういえば中学生のころ、紅葉台というところから樹海ごしにみた初めての富士山はびっくりするほどみごとで印象に残っています。


 このあいだから眺めている金田一春彦『ことばの歳時記』に、「神無月 風に紅葉の散る時は そこはかとなく物ぞかなしき」(藤原高光)という歌の意味について書いていました。


 室町時代に日本に来たポルトガル人が作った日葡辞書をみると、Socofacato naqu の意味は「無限に」と書かれているそうです。だから「何となしにもの悲しい」よりも「かぎりなくもの悲しい」と訳した方がよくはないか。


 また『徒然草』の冒頭、「心にうつり行くよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば」も「何となく書き付ける」というのではなくて「あとからあとから書き付ける」という意味かもしれないと言っています。 たしかに、その方があとの「あやしうこそものぐるほしけれ」とつながりがいいように感じます。


 ことばも時代とともに、発音や意味が変化していて、それが化石のようにいろんな場所に残っているようです。



 


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ピヨの鳴くころ [読書]

 ことしはよく台風が来ます。今も 22号が潮岬の南方海上を北東に進んでいます。窓の外は昼から雨風が続いています。たしか明日、箱根で同窓会をやるという案内がきていましたが、一日違いで良かった。幹事さんはヤキモキしていることでしょう。


 何年かまえの別の同窓会も台風の翌日だった記憶があります。また以前、長兄が尾道で同窓会があるので、帰りに当地に寄ってくれるというので待っていましたが、音沙汰がなく、問いあわせてみると、同窓会が台風で中止になっていました。同窓会は台風の季節に多いのでしょうか ?


 金田一春彦『ことばの歳時記』(新潮文庫)というのは、こどもの頃に読んだ憶えがあって、たまたま書店の文庫棚で北杜夫の隣りに並んでいたので、なつかしくなり買ってきました。ペラペラ眺めてみても、ほとんどは憶えていないので、違ったかな ? と思いましたが、何カ所か記憶にあるところもありました。


 10月30日の欄にこんなことが書いてありました。 いまごろの時期、ヒヨドリがピーヨ、ピーヨと鳴いていますが、奈良朝以前はその鳴き声からピヨと呼ばれていたそうです。それがいつの間にか、pi ➙ fi ➙ hi とかわったそうです。


 沖縄の一部にはそういう古い発音が今でも残っていて、「光」をピカリというそうです。ピカッと光るようすがピタリなのには驚きます。

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台風のありどころ [読書]

 一昨日の夜は暴風雨で、低気圧のせいか耳鳴りがして眠りが浅くなりました。台風は今年三回目で、紀伊半島では崖崩れや川の氾濫がありました。肌寒い季節なのに、海水温が高いというのが実感できません。


 以前、11月上旬に鹿児島から南西諸島へ船で行ったとき、往復とも東シナ海で台風にであいました。椅子ごと部屋の隅までとばされたり、灰皿が飛んできたり、エレベーターで落ちるような感覚を味わったりしました。こんな時期に台風があるんだ・・・と不思議な感じでした。


 むかしは台風といえば、雨戸を釘で打ちつけたり、植木をロープで固定したり、前日の準備が大変でした。伊勢湾台風とか第2室戸台風とか、今よりなにか、まがまがしい表情を感じました。よく停電や断水もしました。


 台風の翌日は、晴天が多かった気がしますが、最近はなぜか、台風一過と青空を見上げる機会が少ないように思います。また、春と秋が短くなりつつあるように感じます。


 このあいだから読んでいる 松岡正剛『擬 MODOKI 「世」あるいは別様の可能性』(春秋社)がそろそろ読み上がります。 「凧(いかのぼり) きのふの空のありどころ」 という蕪村の句をめぐる、ながいながい読書遍歴譚ともいえ、自伝もどき とも思える一冊です。よく分からない話に、ときおりなるほどと腑に落ちるところもある不思議な本です。


 2000年に開始した著者の「千夜千冊」のサイト(http://1000ya.isis.ne.jp/top/)は1640夜を突破したそうです。いろんな本を取り上げ、解読しています。膨大な量なので、目次を眺め、おもしろそうなのを二、三、拾い読みすることがあります。

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植物の毒と薬 [読書]

 道端に曼珠沙華が満開です。いっぺんに秋らしくなりました。こどもの頃、彼岸花は有毒だといって、あまり触れなかったように思います。植物には薬になったり、毒になったりするものが多くあります。


 ケシから得られるモルヒネ、柳の樹皮からアスピリン、カフェインやニコチンといった嗜好品、心臓のジギタリス、神経作用のアトロピン、抗がん剤のビンクリスチン、抗インフルエンザ薬のタミフル・・・もちろん漢方薬は草根木皮がほとんどです。トリカブトという有名なのもあります。


 斉藤和季『植物はなぜ薬を作るのか』(文春新書)は植物がなぜ、こんな色々な物質を溜め込むようになったのかについて、解説しています。


 地球上で最も大量に存在するタンパク質は、植物の光合成に関わるルビスコという酵素タンパクだそうです。ホウレンソウ 100g に 1g も含まれているそうです。また、地球上の植物種全体では 20万個もの植物成分があるそうです。


 植物は藻類から数えると 30億年の歴史があり、それだけ突然変異と進化のチャンスがあります。動かない植物にとって、捕食者、病原菌、他の競合する植物との戦いに負けなかったものだけが生き残っています。外敵への防御などのために強い生物活性をもった物質を生合成するように進化の圧がかかっています。強い生物活性はつまり、薬にもなり得、植物成分は薬の宝庫ということになります。


 彼岸花は捕食者を寄せ付けない毒を持っている・・・むかしの人は田畑の畦道に曼珠沙華を植えて、害虫から作物を守ることを知っていたようです。また、球根を水に晒して毒を抜けば、デンプンは飢饉の備えになります。 秋の風物詩にもそれなりの物語があるようです。


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寅さんの背景 [読書]

 このあいだ出かけた富山の八尾という町は、寅さんが啖呵売していそうな雰囲気ですが、映画の舞台にはなっていないようです。富山県は一度も寅さんと関係がなかった、数少ない県のひとつだそうです。


 映画「男はつらいよ」の第一作が公開されたのは 1969年8月だそうですが、その後、1995年まで 48作もありますが、一度も映画館でみた記憶はありません。折にふれテレビで放送されているのを見る程度です。


 川本三郎『「男はつらいよ」を旅する』(新潮選書)は沖縄から北海道まで、ロケ地をめぐる紀行の書です。


 <実は、沖縄にはこれまで一度も行ったことがない。・・・行きたくなかった。昭和十九年(一九四四)生まれの人間にとっては、沖縄は「戦争の悲劇の島」というイメージが強く、そういうところへ観光に行くのは、なんというか、気が引けた。>


 <第一作が公開された一九六九年四月、私は朝日新聞社に入社し、「週刊朝日」に配属された。・・・当時の映画ファンのあいだでは大島渚やゴダール、あるいは東映やくざを語ることが盛んだったから「『男はつらいよ』が好き」とはなかなか言えなかった。>


 関西に住む人間にとっては、葛飾柴又といっても土地勘がありません。地図をみると、上野から常磐線に乗って、荒川と江戸川のあいだあたりです。江戸川をわたるともう、千葉県です。東京の下町とはいえず、<市中から遠く離れた「近所田舎」>だそうです。柴又と松戸を渡すのが「矢切の渡し」です。


 概して初期の、寅次郎が元気で無茶をする頃のが、おもしろいと思います。年がいくと少し痛々しくなります。知っている町が出てくると、二倍楽しめます。大洲とか高梁とか丹後半島とか・・・。


 そういえば 1969年から 1995年までというのは、安田講堂から阪神淡路大震災までという時代区分だったのですね。「奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の日が落ちる」。


 


 



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ホモ・サピエンスの嘆き [読書]

 台風が近くを通過しました。7月4日にも頭上を通っていったので、今年は当たり年のようです。前回は1時間ほどの大風でしたが、今日は6時間の雨風でした。帰宅時間に重なって、駐車場から玄関までの間にずぶぬれになりました。


 関東以北のひとは新鮮で元気な台風をあまり知らないかもしれません。また奄美や九州のひとは、出来たての強暴な風雨に違った印象をもっているのかも知れません。台風にもなにか表情があります。以前はジェーンとか名前をつけて呼ぶのが普通でしたね。


 いま読んでいるのは、ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(河出書房新社)です。新聞のコラムで引用されていた文句がおもしろくて買ってみました。考古学や遺伝子解析の成果をうまく整理して、現生人類のなりたちを上手に、シニカルに物語っています。


 <農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。・・・犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。>  狩猟採集時代と違って、ヒトは汗水たらして一日中、延々と働き続けないと暮らしていけなくなった。


 <ニワトリほど広く行き渡った家禽はこれまでいなかった。・・・進化の狭い視点に立つと、種の成功はDNAの複製の数で決まるので、農業革命はニワトリや牛、ブタ、ヒツジにとって、素晴らしい恵みだった。>  しかし、10 億頭以上にDNAを増やした牛たちより、絶滅の瀬戸際にある野生のサイのほうが、満足そうにみえる。


 夏の読書に適しています。簡潔で、意外性もあって、適度にユーモアがあります。 目を酷使して、体力と時間を浪費し、さしづめ印刷物に使役されている家畜のように、自分が思えて来ます。





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夏を流す [読書]

 今朝、玄関ドアを開けるとセミが一斉に鳴いていました。去年はいつ聞いたのか憶えていませんが、一昨年は7月9日でした。蝉しぐれにつつまれると梅雨があけた気になります。


 明治26年7月19日、26歳の正岡子規は芭蕉の足跡を追って東北へ向かいます。上野から青森まで、明治24年に鉄道が開通したそうです。『子規の音』(新潮社)の森まゆみさんは、その子規の行程を車で追いかけています。


  みちのくへ涼みに行くや下駄はいて (子規)


 その頃、石川啄木は7歳で渋民尋常小学校におり、野口英世は16歳で会津若松にいました。樋口一葉は21歳で下谷龍泉寺町で荒物や駄菓子を売っています。それぞれの人の、その後を思うと胸があつくなります。


  ずんずんと夏を流すや最上川 (子規)




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不思議なベストセラー [読書]

 今年の始めごろから、本屋さんの店頭に呉座勇一『応仁の乱』(中公新書)が大量に平積みされています。三十万部をこえるベストセラーになっているそうです。


 そんなに売れている本には興味がないなぁと横目でながめて通りすぎていましたが、なぜこんな地味な歴史の新書本が、そんなに売れるのか・・・不思議でした。


 何ヶ月も平積みされている傍を歩いているうちに、なぜこんな普通の中公新書がいつまでも売れるのかという疑問に、ふと魔がさして買ってみました。


 読み出してみると、これはまた、奈良・興福寺の僧侶二人の日記を中心にして、応仁の乱のいきさつを懇切丁寧に詳述した歴史読本でした。登場人物が多く、なじみのない名前の連続で、一日数ページ進むのがやっとで、辟易しました。300ページの新書にひと月かかりました。


 読了して、ふりかえってみて応仁の乱とは何だったのかと考えてみましたが、なんか分からない長い戦乱だったんだなという感想が残っただけでした。


 とても三十万人ものひとが、読んだとは想像できません。ほとんどの人は数十ページ位でなんだこれは・・・と本箱に仕舞ったのではないでしょうか。


 これはこの本のせいではありません。良い新書だと思います。なにかの間違いでベストセラーになっただけで、もし読めなくても、間違って買ってしまったひとに責任があるだけです。ひっそりと新書棚に並んでいれば問題はなかったはずです。



 

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