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小説の楽しみ [読書]

 自分より年下のひとの小説は、何となく読む気がしないのですが、新書棚を眺めていると佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書)というのが目に止まって、つい買ってしまいました。

著者は 1955年生まれの小説家ですが、このひとの小説は読んだことはありません。


 <原則、僕が若い頃に(十代から二十代なかばまでの、まだ自分で小説を書き出す前に)好きで読んだ小説家の小説を、いま中年の小説家の目で読み返してみて何か書く>・・という本です。


 たとえば井伏鱒二『山椒魚』について、


 <一九二三年に中学生だった太宰治が、同人雑誌に発表された井伏鱒二の『山椒魚』を読んで「坐っておられなかったくらいに興奮した」という有名な話がある。(中略)僕は何とも言えないブルーな気分になった。一九七〇年頃に中学生だった僕は、国語の教科書に載っていた『山椒魚』を読んで、どちらかといえば「すわっていられないくらいに退屈した」ような記憶があったからである。>


 そこから出発して、『山椒魚』という小説の、変な書き方を列記していく。身振りの大げささや、変な言葉づかい、そして


 <不思議なことに『山椒魚』の作家は小説をうまく書こうとはしていない。> <素直なボールでは届かない、曲げなければ、ねじ曲がるくらいにカーブさせなければ小説は小説として読者に届けられないと信じて書いている。> <まっすぐなものを曲げる。それは方法である以前に、作者のそうしようという強い意志である。>


 こんな調子で『雪国』、『暗夜行路』、『こころ』、『青べか物語』、『夏の闇』など 25篇を取り上げて、小説家らしい読書感想文を書いています。目のつけどころがおもしろく、作家の特徴があぶり出されてきます。


 では、佐藤正午の小説を読んでみるか・・・とは、今のところ、まだ思ってはいませんが・・・。

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春が来た [雑感]

 通勤の道を、今日は山越えのルートに変えてみました。車窓に梅畑の花が眺められます。昨日からめっきり暖かくなって、光があふれています。去年は開花が遅く、梅祭りができなかったように憶えています。


 車のドアを開けた途端に、クシャミが出ます。花粉が飛び始めているようです。年齢と伴にアレルギー症状が明瞭になっています。


 プロ野球のキャンプ便りが新聞に載るようになりましたが、今日はオリックスの宗佑磨君が取り上げられていました。1番、センターへの定着を目指して、頑張っているようです。ケガのないように、無事に開幕を迎えて欲しいものです。


  春風やまりを投げたき草の原 

  久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも


 明治時代に正岡子規はこんな句歌を作っています。その後の日本での野球というスポーツの隆盛は驚くばかりでしょう。ヘボから天才まで、自分でも楽しめ、観戦してもおもしろいゲームです。福本豊やイチローのように、オリックスの中堅が花開いてほしいものです。

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パルティータの楽しみ [音楽]

 最近は 17-18世紀ぐらいの音楽を聴くことが多くなったようです。「バッハは抹香臭い」といっている人がいましたが、なるほど、そんな気もします。テレマンの「オーボエ協奏曲集」など何のさわりもなく、気持ちよく通りすぎてゆきます。


 バッハの「パルティータ」という鍵盤楽器曲集は好きで、時おりCDを取り出します。初めて聴いたのは C.アラウのピアノ演奏で、彼の最後の録音となったものです。聴くたびに感心していました。


 何年か前、M.ペライアの録音が出たので、聴いてみましたが、あまりにも粒ぞろいなピアノの美音に驚きました。アラウのを聴きなおしてみると、何か指がもつれてでもいるように聞こえてしまいます。年齢がこんなにはっきりと現れるのかと愕然としました。しかし、アラウの演奏は、こころにひっかかりながら、朴訥とした情感が感じられます。


 その時々の、こちらの気分でいろんな演奏が聴きたくなります。もちろん 19-20世紀も時に選びます。ジャンルも・・・いずれにしても人間の産物なので、興味は尽きません。




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わたしの回想 [読書]

 南国の当地でも、今日はいっとき、雪が降りました。積もってはいませんが、奥山は薄っすらと雪化粧をしています。


 23日、東京へ出かけてきたのですが、途中、伊吹山や富士山は六合目くらいまで雪でしたが、都内は思うほど寒くはありませんでした。今は冷え込んでいることでしょう。


 数日前から、加藤周一『続 羊の歌ーわが回想』(岩波新書)を読んでいます。『続』は戦後の1945年9月から始まっています。本郷の病院の無給の副手で、病室に住み込み、診療と血液学の研究に没頭していたそうです。そして、東京帝国大学医学部と米国の軍医団が共同で広島へ送った「原子爆弾影響合同調査団」に参加し、広島の惨状をつぶさに見ています。


 <・・・広島で知合った L中尉を通じて、占領軍が徴用していた築地の聖路加病院の構内へ入る特別許可証をもらった。「許可なくして立入る者は射殺さるべし」と貼紙のしてある門のとこで、武装した衛兵にその許可証をみせると、私たちは米国人の医者や看護婦が往来している病院の廊下を通って図書室へ行くことができた。私はそこで新しい米国の医学雑誌をむさぼるように読んだ。(中略)そのために私はほとんど「蘭学事始」の昔を想い出した。>


 フランス政府給費留学生の試験を受け、給費生にはなれなかったようですが「半給費生」となり、旅費と生活費は自分持ちという条件で、1951年、フランスに渡ることになります。パリ・オルリー空港には前年の給費生である森有正などが出迎えてくれます。


 久しぶりに、森有正という名前を見ましたが、1970年ごろ、わたしには『バビロンの流れのほとりにて』という彼の本を、毎日、毎日、読んで過ごした日々がありました。どんなふうに生きていくか、さまよっていた時代です。


 西洋見物に出かけた加藤周一は、そこで第二の出発をし、「加藤周一」となる。いまさらながらの古い本ですが、いろんなところで「わたしの回想」にも繋がってきます。


 


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想いはめぐる [読書]

 二十年ほどまえ、信州・追分でお茶を飲みに入った店の前に、「油屋」という建物がありました。「あっ、ここが油屋か・・・」と、しみじみと眺めた憶えがあります。火事で焼け、往時とは変わっているはずとは思いましたが・・・。


 加藤周一『羊の歌ーわが回想』(岩波新書)を読んでいると、旧制中学生のころとして、こんな場面が出てきました。


 <ある日の午後、中仙道を沓掛の方へ向って散歩に出たとき、同じ方角へ向う長身痩躯の青年があった。どちらからともなく話しかけ、ならんで歩いているうちに、「ぼく立原です」とその青年がいったのである。立原は歩きながら、すすきの穂をひき抜いて、それを手にもてあそんでいた。(中略)私はそのとき立原道造の書いた詩を読んではいなかったがー従ってまだその魅力にとらわれてもいなかったが、彼の考えの明晰さに感心し、その人柄には、飾らない魅力があると思った。秋になって東京に帰った私は、油屋が焼けたということを聞いた。その火事のときに二階にひとりだけ住んでいた立原は、焼け死にそうになり、窓の格子を鋸で切り開いた消防手にやっと助け出されたという。>


 大学生のとき、数巻の『立原道造全集』をアパートの部屋に置いていた同級生がいました。「ふぅーん」と眺めた記憶があります。卒後三十年ほどして、専門関係の雑誌や、フォーク歌手・高田渡との関わりで彼の名前を見かけたことがありました。


 そういえば『千と千尋の神隠し』の湯屋の名前も「油屋」でした。宮崎駿も信州・追分に何か思いがあったのでしょうか。島崎藤村『夜明け前』にも、主人公・半蔵が中仙道・追分宿に泊まる場面が出てきます。追分は中仙道と北国街道の分岐点だそうです。 いろんなことに想いが回ります。





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