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時代のシッポ [雑感]

 今日は高速道路のサービスエリアは大混雑でしたが、町中は異様に車が少なく、スイスイ走れました。渋滞を恐れて家にいた人が多かったのでしょうか。10連休、ジューレンキュウと騒ぎたてるものだから、おっかなびっくり、引きこもっているのでしょうか。いつもの日曜日の半分以下の通行量のようです。


 明日は仕事なので、どんな具合になるのか、どっと人が来るのか、閑散とした状態なのか、予測ができません。混乱のないようにしたいものです。そういえば明日は「昭和の日」だったはずです。


 40歳まで昭和を過ごしたので、大人になっていく記憶が経済成長や人口増加に重なっています。そんなものだと思っていましたが、バブル崩壊以後、いつまでたっても元に戻らず、ついに人口が減少しはじめ、どんどん空き家が増え、小学校は廃校になっていきます。「何か変だなぁ」と思ってしまいます。やっぱり人は生まれ育った環境に影響された思考の癖が身についてしまっているのでしょう。


 毎日新聞の「今週の本棚」欄に養老孟司が、橋本治『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』(朝日新書)をとり上げ、感嘆するように「ああ、団塊だなあ、としみじみ思う。」と書いています。何か考え方の様式に時代性が感じとられるのでしょう。「著者のように、平易に広く自己の思想を語れる人材は少ない。・・・橋本治は団塊の世代を代表する作家、思想家だった・・・」と評しています。


 そうなんだろうか。橋本治は殆ど読んだことがありませんが、「とめてくれるなおっかさん」で代表されるのは、少し身にそぐわない気もします。この本、本屋で見つけたら眺めてみようかと思います。

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川を渡る [読書]

 東海道といえば箱根の関所とか大井川の川渡しが思い浮かびます。箱根には何度か行って、関所跡も見学したことがありますが、大井川はいつも、知らない間に新幹線で通り過ぎるだけです。


 川渡しといっても、大の大人を肩車して流水に腹まで浸かって大河を横切るのは、大変な労力だっただろうと思います。


 池内紀『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)は宿場跡を訪ね、歌川広重の五十三次シリーズを参照し、江戸時代の旅のようすを教えてくれます。


 駿州島田宿の西方に大井川の越場があり、幕末には川越人足が 650名いたそうです。日によって川の深さと川幅が変わるので渡し料も変化し、水量が帯下で 52文だそうです。今の 600円位でしょうか。肩車ではなく連台に乗ると、人足 が4人になり、値段は 6倍になるそうです。

 

 川越人足になるためには十二、三歳から修行に入り十五歳で見習い、厳しい審査のすえに採用され、五十歳で定年だそうです。


 明治になって架橋されるまで、大井川は江戸の防衛のため、橋も渡船も許されなかったそうですが、現実には南アルプスからの豊富な水流のため、橋を架けても、維持できなかったようです。明治 12年にできた蓬莱橋(897.4m)は木橋としては世界最長だそうです。いつかゆっくりと大井川を眺めてみたいものです。





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峠越えの趣味 [徘徊/旅行]

 柳田國男「峠に関する二三の考察」を読んでいると、近江は四境ことごとく山なので、隣国へ越える五十二の峠路があると書いてあります。山城へ十八、伊賀へ八、伊勢へ九・・・といった具合です。


 山の鞍部を越えていくのが楽ですが、そんな部位を古くは「たわ」もしくは「たをり」と言ったそうです。今日の「たわむ」と語源を同じくし、柳田は「たうげ・峠」もそこから来ているかもしれないと述べています。そういえば昔、「田和」さんという同僚がいたのを思い出します。


 峠道は新しい道が開発されると、すぐ廃れてしまいます。まず沢を登る道ができて、次に物を運ぶに便利な勾配のゆるやかな道ができ、トンネルができてといった具合です。その都度、村落や茶店が古い道に取り残されます。


 「山岳会」に対抗して、峠越えの楽しみを報告し合う「峠会」を作りたいと、明治43年(1910)、35歳の柳田は冗談めかして書いています。


  山路来て何やらゆかしすみれ草 (芭蕉)




 

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散歩の道すがら [徘徊/旅行]

 ぶらりと散歩するのに、ちょうど良い天気なので山村を少し歩きました。出会うのは欧米人ばかりで、日本人を含め東洋人にはすれ違いません。何か趣味の違いでもあるようです。


 以前、やや太り気味のひとに「夕食後に歩いてみたら」と勧めると、「夜にその辺を出歩いていると、不審者と間違われる」とのことでした。用もないのに散歩などしているのは変なヒトという、まっとうな感覚です。


 国木田独歩『武蔵野』は明治31年の発表ですが、落葉樹林を散策する楽しさを発見しています。独歩は中国地方でこども時代を過ごしているので、武蔵野の広葉落葉樹林が目新しく感じられ、ツルゲーネフの小説の舞台が連想されたようです。


 当地は、南国ですので雑木はツバキ、ウバメガシといった照葉樹が多く、冬でも落葉が少なく、武蔵野とは風景が異なります。関東から来たいとこを山村に案内すると「緑が濃いなー」と驚いていました。


 この辺りでは、昔はツバキの葉で刻みタバコを巻いて喫う風習があったそうです。ウバメガシは備長炭の原料です。 変なヒトと思われないように、用事でもあるような顔をして、そそくさと歩いたほうがいいかなと、思ったりします。



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平成の壁と崩壊 [雑感]

 1世代30年と言われますが、平成はちょうどそんな長さです。平成が始まった頃の、わたしの年齢に、今はこども達がなっています。そして、その頃のこども達の年齢に孫達が達しています。


 新年度を迎え、この平成という30年がどんな年月であったのかと、振り返ってみる気分になります。


 平成元年(1989)はベルリンの壁崩壊が印象に残っています。テレビの「ニュース ステーション」で生々しい映像が流れていました。米ソ冷戦時代に育ったので、共産圏が瓦解するとは思いもよらないことでした。


 『歴史とは何か』(岩波新書)で E.H.カーは「ボリシェヴィキはフランス革命がナポレオンのような人物で終わってしまったことを知っていましたため、自分たちの革命が同じような結末を告げるのではないかと恐れておりました。ですから、彼らは、トロツキーという、自分たちの間でも最も多くナポレオンに似た人物を警戒し、スターリンという、最も少なくナポレオンに似た人物を信用していたのでした。」と語っていました。苦笑します。


 壁の次は、バブルの崩壊。そして1995年の阪神淡路大震災、ビルが倒れ、高速道路がひっくり返りました。母の実家は全壊し、知った人が何人かなくなりました。


 2001年、「自民党をぶっ壊す」という小泉内閣となり、壁のないグローバリゼーションの進展。そして 9.11の高層ビルが崩壊する凄まじいリアル・タイムの映像。21世紀という未知な時代の扉が開いた感じでした。その後も際限のないテロが続いています。2003年には養老孟司『バカの壁』(新潮新書)というのもありました。


 2011年の東日本大震災の大津波や爆発する原子力発電所の実況中継。不気味で終末を見るような異様な風景が液晶画面にくっきりと写されました。その後も各地で地震や洪水が頻発しています。


 この間、高齢化社会となり、認知症が身近になり、人口減少が進み、地方では小学校がどんどん廃校になり、商店街がシャッター通りになっています。


 2017年には「壁をつくる」というトランプ大統領が就任しました。平成の壁を壊す流れに逆行していますが、巨大津波の前の防波堤のようなものなのでしょうか。


 こうして振り返ってみると、平成という時代が平坦な道のりではなかったことが思い出されます。なんとか生き延びてきましたが、70歳という思いも掛けない歳になってしまった自分に驚きます。これからどんなふうに生きていくか、思案します。


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