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モバイル・ハウス・ダイアリーズ [読書]

 猛暑が続いています。38度といった言葉を聞くと、何か未体験の領域に入っていく感じがします。四季のある国といいならわしてきましたが、季節の巡りは、経験済みの出来事のなかで推移していくものだったはずです。想定外が多すぎます。


 「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」と『方丈記』は書いていますが、川の水が氾濫するとは言ってません。


 河出書房新社『日本文学全集07』の高橋源一郎訳「方丈記」は奇を衒ったものです。方丈記という言葉の横には「モバイル・ハウス・ダイアリーズ」とルビがふってあります。言葉遊びとして「現代語訳」したという感じです。 原文もそんなに読みにくいものではないので、こんなのもありかとは思いますが・・・。


 最近、文字が読みにくくなってきたので、近々、目の手術をする予定です。未体験のことは少し不安ですが、これも今年の夏の経験として、やり過ごすことにします。

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千年まえのコラムニスト [読書]

 文庫本は字が小さいので、とても読めません。岩波文庫にワイド版というのがあるので、ときどき出かけた折に、書店の棚を探してみます。それで『枕草子』でも読んでみようかと、池田亀鑑校訂というのを買ってみたのですが、なかなか読み進めません。いちいち古語辞典を引くのは視力的にも無理です。


 なにか適当な訳本はないかと思っていたのですが、以前、橋本治訳が話題になったのを思い出したり、岩波現代文庫に大庭みな子訳があることも知っていたのですが、そのままになっていました。


 そんな時、酒井順子訳というのを見つけて、手に取るはめになりました。ときどき岩波文庫ワイド版と見比べながら、読んでいますが、スイスイとページがすすみます。現代でいえば、雑誌のコラム集のようなもので、辛辣な感想があったり、帝や中宮の日常生活の描写があったり、元夫が出てきたり、清少納言という女性の生き生きとした感情が横溢しています。「好き」と「嫌い」で世界を二分してしまうのは、痛快です。


 まだ半分残っていますが、読むのが楽しみになります。本当にこんなことを書いているのかと、原文をみると、ほぼ逐語訳に近いもののようです。帝がネコをふところに入れていたり、物乞いのおどけたようすなど、千年まえの日常が生々しく語られています。


 女性はいつの時代も元気なんだなぁと、微笑ましくも愉快になります。


 


 

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しのぶべき六月 [読書]

 もうすぐ梅雨入りのようです。この季節になると伊東静雄の「水中花」という詩の一節を想いだします。彼は諫早の生まれで、大阪・旧制住吉中学で先生をしていました。教え子には小説家の庄野潤三や童謡「サッちゃん」の作詞でも知られる阪田寛夫がいます。


  今歳(ことし)水無月のなどかくは美しき。

  軒端(のきば)を見れば息吹のごとく

  萌えいでにける釣しのぶ。

  忍ぶべき昔はなくて

  何をか吾の嘆きてあらむ。

  六月の夜と昼のあはひに

  万象のこれは自ら光る明るさの時刻(とき)。


 彼の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』は口調はいいですが、意味のとりにくい、複雑な構造になっています。杉本秀太郎『近代日本詩人選 18 伊東静雄』(筑摩書房)は、これを明晰に読み解いており、詩の解読とはこんなふうにするのかと、驚嘆します。


 庄野潤三『文学交遊録』(新潮社)には教師時代の伊東静雄の姿が生きいきと書かれています。そういえば『伊東静雄全集』の編者でもある作家・富士正晴の弟という先生と宴席で隣りあったことがあります。姉は野間宏の奥さんだそうです。庄野潤三の若い頃の話をうかがった記憶があります。


 六月になると、いろんなことを思い出しますが、もうみんな遠い過去です。

  

  

  

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牡丹のおもかげ [読書]

 三十年ほどまえ、奈良の長谷寺へ行って、牡丹を買ってきたことがあります。玄関の横に植えたのですが、花が終わると枯れてしまいました。 花に詳しい叔母に話すと、花は切って植えないと、負担が大きくて根付かないとのことでした。


  牡丹散て打ちかさなりぬ二三片 (蕪村)


 牡丹は寺院の前栽にみかけることが多いようですが、奈良時代に中国に渡った留学僧が持ち帰ったからだとされているそうです。 白楽天は「牡丹芳」に


  花開き花落つること二十日

  一城の人皆狂(たぶ)れたるが若(ごと)し


 と詠んでいるそうです(久保田淳『古典歳時記 柳は緑 花は紅』小学館ライブラリー)。



 また同書には、古典和歌では「牡丹」という字音を避けて「深見草 ふかみぐさ」というと書かれています。


  夏木立庭の野筋の石のうへに満ちて色濃きふかみ草かな (慈円)


 初夏に清々しく、華麗に咲く花は見事です。おもいつけばまた、長谷寺か当麻寺に出かけてみたいものです。


  ちりて後おもかげにたつぼたん哉 (蕪村)


 

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神話の住人 [読書]

 新宮市の熊野速玉大社の境内に、佐藤春夫の詩碑があります。「望郷五月歌」の一節が陶板に焼き付けられています。近くには彼の旧居も移築されています。


IMG_1664.JPG


   塵まみれなる街路樹に

   哀れなる五月来にけり

   石だたみ都大路を歩みつつ

   恋しきや何ぞわが古郷

   あさもよし紀の国の

   牟婁の海山

   夏みかんたわわに実り

   橘の花さくなべに

   とよもして啼くほととぎす

   心してな散らしそかのよき花を

   朝霧か若かりし日の

   わが夢ぞ

   そこに狭霧らふ

   朝雲か望郷の

   わが心こそ

   そこにいさよへ

   空青し山青し海青し

   日はかがやかに

   南国の五月晴こそゆたかなれ


 西脇順三郎は「文人佐藤春夫」という文章を書いています。


 <五月頃になると南仏をおもわせるマロニエの樹に花が咲き、七、八月になるとノウゼンカズラの花が咲く。 この家の主人は門弟三千人をようしたという文人であった。>


 新宮という町は背後に熊野の山々を背負い、南は太平洋にひらけていますが、隔絶された地域の雰囲気があり、神倉神社のお燈まつりなど、神話的な世界の匂いが漂っています。 佐藤春夫にもそんな種族のしるしが感じられるかもしれません。





  

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リュウと鳥 [読書]

 前回の「龍」と「竜」については(http://otomoji-14.blog.so-net.ne.jp/archive/20180423)、

やっぱり、高島俊男さんの『お言葉ですが・・・』(文藝春秋 1996年刊)に「龍竜合戦」という一篇がありました。 橋本首相が誕生したとき、朝日新聞は橋本龍太郎と書き、毎日新聞は橋本竜太郎と書いていて、不思議に思ったそうです。


 新聞社には、何か略字を使う社内規定があるようで、坂本竜馬とか芥川竜之介になるのかなとのことでした。ただ、数日後の毎日新聞に載った「サンデー毎日」の広告では橋龍になっており、村上龍対談坂本龍一というのもあったそうです。


 岩波書店は新聞社ではありませんが、なにか社内の決りがあって、芥川竜之介、橋本龍太郎になっているのでしょう。


 このあいだから読んでいる『目からウロコの自然観察』(中公新書)には、身近にあって知らなかったことが、たくさん書かれています。


 これからの季節、ツバメは軒下に泥で巣を作って、子育てしながろ暮らしているのかと思っていましたが、


 <街中で繁殖を終えたツバメは、秋に南国に渡るまでどこでどんな生活をしているのだろうか。まだわからないことが多いのだが、7〜8月の夕方、ヨシ原などに集まり集団ねぐらをとることがわかっている。数千、数万の大群が上空を乱舞し、一斉にねぐらに入るシーンは実に壮観である。>とのことです。


 著者は2015年8月24日、中央自動車道の談合坂サービスエリア(上り線)で、日没前後に数千羽のツバメが一気に、ケヤキの樹にねぐら入りするのを観察しています。


 サービスエリアにいた人たちは、ヒッチコックの映画「鳥」を一瞬、思いだしたかも知れません。



 

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キョーミと観察 [読書]

 文庫棚を眺めていて、ふと気がついたのですが、新潮も角川も文春も「芥川龍之介」なのですが、岩波は「芥川竜之介」です。 「竜」は「龍」の略字で、常用漢字なんでしょうが、文学賞も芥川龍之介賞だし、人名を略字にするのはどうかなと思います。


 岩波書店は「龍」という漢字は使わないのかというと、『橋本龍太郎 外交回顧録』という本を出版しています。最近は変えているのかと思うと、2010年に出たのも『芥川竜之介俳句集』(岩波文庫)となっています。


 こんな問題は高島俊男さんが、どこかで指摘しているのかも知れません。 森鷗外も鴎外になっているというのを読んだことがあります。 ネットの「青空文庫」は「竜」、「鴎」となっています。


 興味のあることには目がいきやすいですが、関心がないと、知らないで過ぎてしまうものです。 唐沢孝一『目からウロコの自然観察』(中公新書)には、身のまわりにある知らなかったことが種々とりあげられています。


 <ウマノスズクサの葉は、千切るとひどい悪臭がする。葉は毒性のあるアリストロキア酸を含む。葉の毒は、本来は虫に食べられないための防虫剤として機能している。ところが、長い進化の過程で、アリストロキア酸に対して耐性を獲得した昆虫が現れた。それがジャコウアゲハである。・・・幼虫は食草の毒を体内に蓄積し・・・毒蝶が誕生する。鳥やカマキリがこれを捕食して中毒症状を経験すると、二度と捕食しなくなる。>


 さらに、ジャコウアゲハの模様に擬態して、毒虫になりすまして生き延びる蝶もあるそうです。 ただ、ボーと景色を眺めていても分からない、植物や動物の営みが興味深く書かれています。




 


 

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映画の白いタンポポ [読書]

 たまたま、川本三郎の新刊『映画の中にある如く』(キネマ旬報社)を読んでいると、広島・呉を舞台とするアニメ映画「この世界の片隅に」を話題にした項に、こんな文章がありました。


 <この映画で呉には、白いタンポポがある、と知った。普通、タンポポの花は黄色い。しかし、九州の柳川では白いタンポポが咲く。だから北原白秋は「廃れたる園に踏み入りたんぽぽの白きを踏めば春たけにける」と詠んだ。呉でも、白いタンポポが咲いたのか。>


 どんな場面なのかは分かりませんが、タンポポの白さが、北原白秋の短歌の記憶を呼び覚ましたのでしょう。 白秋にはタンポポのでてくる詩もあります。


 川本三郎が「キネマ旬報」に書いているコラム「映画を見ればわかること」のシリーズは楽しみにしています。今回で五冊目になります。 ほとんどは観たこともなく、観ることもない映画についての話が、なぜおもしろいのか不思議ですが、旅人に、知らない土地の話を聞くようなものかもしれません。



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母親のセリフ [読書]

 こどもの頃、母親が小学校の懇親会かなにかに出かけて帰ってきて、校長先生が「すまじきものは宮仕え」と言っていたと話していたのを憶えています。はなしの前後は忘れていますので、どんな事情だったのかは不明ですが、そのセリフだけはずっと頭に残っていました。


 最近の文科省や財務省での出来事を見ていると、宮仕えの大変さが想像され、母親の語調まで思いだしました。


 高島俊男『漢字雑談』(講談社現代新書)を読んでいると、昔の中国について、こんな記述がありました。


 <中央集権制だから、県には中央政府の出先機関である役所がある。県を統治しているのは朝廷から派遣された官で、これは通常一つの県に二人か三人、多くて数人である。・・・


 県の役所では常時数百人、あるいはそれ以上の人が仕事をしている。これは「吏」である。吏は、朝廷もしくは官が任用した者ではない。


 吏は皆土地の者で、生涯同じ部署で同じ仕事をする。通常親子代々世襲である。・・・

 

 吏には給料はない。官が任用して役所にいるわけではないのだから当然である。仕事で収入を得ている。・・・


 ・・・たとえば百叩きの刑に処せられたとして、金をうんとはずめば形だけの叩きですむ・・・吏はその仕事で生計を立てているのだからあたりまえである。>


 古い中国の制度ですが、周辺諸国にも影響はあったことでしょう。官と吏と民の関わりには歴史的な根深い要因が潜んでいるものと思われます。 わたしの母親はどんなつもりで子供に「すまじきものは・・・」と言ったのか、知るすべもありません。




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記憶の水路 [読書]

 今日は東大寺二月堂のお水取りです。関西ではお水取りが過ぎると、春が実感されます。やっと明日からは暖かくなることでしょう。


 十五年ほど前、ちょうどお水取りの日に、東大寺の近くで集まりがあったのですが、会場の外に出てみると、夕暮れで、雪が吹きつけ、二月堂まで上がって行く元気はありませんでした。


 たしか、白洲正子『かくれ里』には若狭の遠敷川から、東大寺の「若狭の井」への水送りの儀式というのが書かれていた記憶があります。お水取りの井戸は若狭につながっているそうです。


  水取りやこもりの僧の沓の音 (芭蕉)

     (氷の僧とするのが真蹟のようですが・・・)


 最近、わたしの本を読むスピードが遅くなっているので、家内が朗読してあげるから、聴いてなさいといって、池内紀『記憶の海辺』(青土社)を読み出しました。そんなことが可能なのかといぶかっていましたが、355ページを五日ほどで読んでしまいました。眼のよいひとにはかないません。


 眼をつむって聴いていたので、なにか読書という感じがうすく、内容も頭へ定着しにくいようです。それでも池内紀の生い立ちから、カフカ全集を訳しおわるまでの経緯が物語のように楽しめました。

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