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島と岬 [読書]

  7月になりました。ここ数日、雨が続いています。間食に、先日いただいたマンゴーを食べました。香りが強く夏の気分になります。


 大学生のころ、奄美大島で泊めてもらった家の庭にパパイヤが実っていたのを思い出します。フィラリアで象の足のようになった人の話や、火のついたタバコを指に挟んで野道を歩いていて、手をハブにうたれた話などを聴いた覚えがあります。ハブは熱に向かって飛びかかってくるそうです。


 内陸は知らないが、本土も港ならほとんど知っていると宿のおじさんは言っていました。船乗りの世界観なのでしょう。


   柳田國男は『明治大正史 世相篇』にこんなことを書いています。 <帆船の時代には、風が吹き止めば浜に漕ぎ寄るから、よんどころなしの寄港地も多く、一つ風でも曲り角から先は役に役に立たぬゆえに、岬の突端は大抵はみな風待ちの湊であり、それがために土地も栄えたのであった。汽船の時代が来ればそんな処に上陸はしたくない。少しでも中央の用のある部分に接近してから碇泊してもらいたいのである。だから近世にはいよいよ忘れられた湊が多く、岬はほとんどみな島以上の僻村にもなったのである。>


 時代により土地の栄枯盛衰の見られる事情が分かります。


 そういえば、メンデルスゾーンに「静かな海と楽しい航海」という曲がありますが、帆船の時代には「静かな海」は船が進まない困った状態で、風が吹いてはじめて「楽しい航海」になるんだと、あらためて感じます。時代が変わると分からなくなることも多いようです。


 

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こころに残る短篇小説 [読書]

  短篇小説は 30分もあれば読めてしまうので、寝る前に読むことがあります。エッセイに近いものから、文字によるスケッチ、奇妙な話、寓話風のものなど風味はいろいろですが、一年もすると、ほとんど内容は忘れてしまいます。覚えているつもりでも再読すると、こんな話だったかなぁと、思い違いに気づきます。


 日本のもので記憶に鮮やかに残っているのは、


  庄野潤三「プールサイド小景」

  開高健「玉、砕ける」

  宮本輝「力道山の弟」

  三浦哲郎「みのむし」


 などです。

 そういえば「力道山の弟」は5年ほど前、短篇小説のアンソロジーで読んだのですが、もともとは、なんという本に入っていたのかと調べてみると、1990年出版された短篇集『真夏の犬』の中の一篇で、今は文春文庫になっていました。宮本輝は 40年近く前に一冊読んだことがあるくらいで、あとは映画『泥の河』の原作者という程度の知識しかありません。


 舞台は昭和30年代の阪神間の尼崎。駅前に力道山の弟と名乗る香具師がやって来る。


 <男は、力道山に生き写しだった。私は、テレビで観た力道山の顔を頭に描きつつ、男を見つめた。男は、自分を取り囲んだ人々の数を確かめてから、煉瓦を空手チョップで割った。>


 小学校五年生の私と父、母、父の友人の妻などの世界が、力道山の弟の出現によって軋んでゆく。猥雑な時代を生きる人間の劇が描かれています。


 昭和30年代って、そんな時代だったな・・と思い、そういえば、あの頃、隣街のあたりでは、村上春樹も彼の「父と子」問題の中で生きていたんだろうと推測します。いずれにせよ、この現代も、殻を破れば同じ事なんだ・・と、最近の父と子をめぐる事件を思い浮かべます。



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オレンジ色の猫 [読書]

  小学五年生のころ、兄に大阪・梅田の映画館へ連れて行ってもらった記憶があります。『黄色い老犬』という映画でしたが、内容はほとんど覚えていません。


 以前、鈴木孝夫『日本語と外国語』(岩波新書)を読んでいると、米国での経験として、こんなことが書いてありました。「レンタカーに電話をして車を頼むと、十分ほどでオレンジ色の小型車が迎えに行くから・・・(中略)・・・約束の十分を大分過ぎても、それらしき車は一向に現われない。・・・少し離れたところに茶色の車が止まっていて・・・男は平然として、この車は orange よ、と答えたのである。」


 著者は積年の疑問が解けた気がする。アガサ・クリスティの『沢山の時計』に 出てくるorange cat(オレンジ色の猫)や「赤毛のアン シリーズ」の orange cat(みかん色の猫)は日本語でいえば「明るい茶色」の猫で、そんなに変わった色の猫ではないと体感できたのです。


 「日本人の目には茶色の一種としか見えない色彩も、時には色としての orange に含まれることに注意」とのことです。


 小学生の頃に観た『黄色い老犬』はどうなんだろう。原題は『OLD YELLER』ですが、やはり映画の中の犬は普通の茶色い犬でした。yellow も日本語の黄色より茶色の範囲までも含むのかもしれません。こどもの頃、「黄色人種」という言葉を知って、自分の肌を見て、なぜこれが黄色なんだと不思議に思ったものです。


 翻訳本に「オレンジ色の猫」や「黄色い犬」が出てきても、不思議の国のアリスの世界ではなく、普通の薄茶色い猫や犬なんだと思う必要がありそうです。


            (引用文太字は原文では傍点)

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世相を眺める [読書]

 元号が変わったので、明治などというのは遥か昔に感じられますが、わたしの父親や祖父母は明治生まれです。柴田宵曲『明治風物誌』(ちくま学芸文庫)を見ていると、アレッと思うことが載っています。


「カバンという言葉は前からあったが、鞄という字にきまったのは明治十年あたり」だそうです。博覧会が閉会した後、売れ残ったカバンの始末に困って、残品販売するとき、革 包と二字で書くのを、いっそ鞄の一字にしたらどうだと云い出して、それでカバンの漢字ができたそうです。


 また、郵便というものができた当時、ポストは黒塗りの函だったそうです。いつから赤になったのか、正岡子規が『病牀六尺』に「自分の見た事のないもので、一寸見たいと思ふ物」を列挙した中に、「紅色郵便箱」があるので、明治三十五年にはあったのだろうと書いています。


 当地に住むようになって、近くに古びた赤い円筒状のポストが立っていて、現役なのか、投函してもだいじょうぶなのか、不安になりましたが、あれから 15年になりますが、まだ現役です。先日、芦屋市に出かけましたが、街中に同型のポストを見かけました。案外、円筒状のも残っているようです。


 『明治大正史 世相篇』という柳田國男の本もあります。こんなのを眺めていると、祖父母や父母の暮らした時代の雰囲気が感じられ、なぜか懐かしい気がします。平成も終わり、これからはどんな時代になるのでしょう・・・。



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金田一先生の事件簿 [読書]

  今日は「母の日」です。わたしは子供の頃は「オカーチャン」と呼んでいました。金田一春彦『ことばの歳時記』(新潮文庫)によると「おかあさん」という言葉は、比較的新しく、明治三十年ごろに文部省で作った小学校国語の教科書にはじめてお目見えした言葉だそうです。


 当時、東京では、士族は「オカカサマ」といい、町人は「オッカサン」と言っていて、その中間をとって「おかあさん」とう言葉ができたそうです。そういえば古典落語には「おかあさん」は出て来ないようです。


 岡茂雄『本屋風情』(角川ソフィア文庫)には金田一春彦のオトーサンの金田一京助の話が出てきます。大正十五年、岡書院を営んでいた著者は、柳田國男に「金田一君が畢生の仕事として、アイヌのユーカラの解説研究を欧文で書き上げ、学位論文として帝大に提出したが、だれも審査するものがなくて、付属図書館においたんで震災で焼けてしまった。」とのことで、金田一が落胆、消沈しているので、和文でもいいから、もう一度、思い直してやってくれるように勧めて、出版してやってくれないかと言われたそうです。


 そこで著者は、阿佐ヶ谷の金田一邸を訪ねる。「いかにもささやかな平屋建てが、ポツンと佇んでいた。玄関の扉といい、柱また壁といい、お世辞にも立派とはいえないどころか、正しくいえば、粗末極まる建物であった。」


 紆余曲折があって、金田一の草稿が進み出すと、相当な大冊になりそうだが、特殊な本だけに、どう考えても三、四十しか売れそうもなく、民間の出版社では歯がたたず、結局、財団法人・東洋文庫に引き受けてもらうことになり、昭和六年一月、『アイヌ叙事詩 ユーカラの研究』が出版される。


 金田一京助は石川啄木と同郷で、借金魔の啄木を支えたことが知られていますが、八十六歳になって書いた『私の歩いて来た道』という自叙伝では、『ユーカラの研究』の出版に関わる記述が、どうしたことか、ほとんど事実と相違していたそうです。


「先生はときどき、話を御自分のつごうのいいように、お作りになる風があって困った」と五十年来の弟子が、声をひそめて洩らしたそうです。 大きな仕事を成す人は、やはりどこか常人とは違うのだなぁと感服します。

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川を渡る [読書]

 東海道といえば箱根の関所とか大井川の川渡しが思い浮かびます。箱根には何度か行って、関所跡も見学したことがありますが、大井川はいつも、知らない間に新幹線で通り過ぎるだけです。


 川渡しといっても、大の大人を肩車して流水に腹まで浸かって大河を横切るのは、大変な労力だっただろうと思います。


 池内紀『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)は宿場跡を訪ね、歌川広重の五十三次シリーズを参照し、江戸時代の旅のようすを教えてくれます。


 駿州島田宿の西方に大井川の越場があり、幕末には川越人足が 650名いたそうです。日によって川の深さと川幅が変わるので渡し料も変化し、水量が帯下で 52文だそうです。今の 600円位でしょうか。肩車ではなく連台に乗ると、人足 が4人になり、値段は 6倍になるそうです。

 

 川越人足になるためには十二、三歳から修行に入り十五歳で見習い、厳しい審査のすえに採用され、五十歳で定年だそうです。


 明治になって架橋されるまで、大井川は江戸の防衛のため、橋も渡船も許されなかったそうですが、現実には南アルプスからの豊富な水流のため、橋を架けても、維持できなかったようです。明治 12年にできた蓬莱橋(897.4m)は木橋としては世界最長だそうです。いつかゆっくりと大井川を眺めてみたいものです。





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本の熱量 [読書]

 当地でも、きのうソメイヨシノが咲き出したようです。去年より5日遅く、例年並みとのことです。今年は熊野ザクラを見に行きたいと思っていたのですが、用事や腰痛で、出かけられませんでした。


 これから1週間ほどで、春爛漫となることでしょう。ブログの頭のサクラの写真は、5年ほど前に、京都御所の近くで撮ったものです。どんな用で行ったのかは、忘れました。


 島崎藤村『夜明け前』を読み終わったあと、河盛好蔵『藤村のパリ』(新潮社)を再読しました。20年ほど前に読んでいたのですが、あらかた内容は忘れていました。藤村のパリでの下宿のようす、特に下宿の女主人の年齢の調査、藤田嗣治などの画家との付き合い、第1次世界大戦が始まって疎開したリモージュのことなど、現地を何度も訪れ、詳細に記載されています。高齢にもかかわらず、河盛好蔵の旺盛な好奇心、探究心に驚嘆させられます。


 『夜明け前』の主人公・青山半蔵と少し重なって、江戸末期に生きた漢方医・澀江抽斎について、微細に調べ、史伝を書いたのは森鷗外です。無名に近い人物への執拗とも思える調査・探索には、鷗外の異様なほどの情熱が感じられます。


 『藤村のパリ』からは『澀江抽斎』に匹敵する情熱が伝わってきます。読書の醍醐味です。


  うらうらと照れる光にけぶりあひて

       咲きしづもれる山ざくら花 (若山牧水)




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夜明け前の坂 [読書]

 2週間ほど前、冷蔵庫の下の床に水が溜まっているので、ドアを開けてみると冷えていません。冷凍庫も解けています。いろんなところを触ってみましたが、冷えません。どうも壊れたようです。もう20年も使っているので、いたしかたないかと、諦めました。


 数日して注文した新しい冷蔵庫が届けられて、設置してもらいました。中が空なので、冷凍ストックなど、いつもより多く買い物をして、重いなと思いながら提げて帰りました。2日後から、腰痛に悩まされています。


 微妙なバランスで暮らしているので、少し負荷がかかるとこたえます。もう 70年も使っているので、いたしかたないかと、諦めます。


 7ケ月かかって、島崎藤村『夜明け前』(岩波文庫 全4冊)を読了しました。読むといっても文庫本は「字が小さくて読めない ! 」ので、週末ごとに、朗読してもらいました。ただ一人で黙読では、おもしろくても途中で投げ出したと思います。


 黒船来航の幕末から、明治20年代まで、中山道の馬籠宿を舞台に、藤村は父をモデルに、青山半蔵の一生を描きます。本陣・問屋に生まれた半蔵は平田篤胤の国学を学び、明治維新に王政復古の夢を抱き奔走しますが、維新後の政治に翻弄され、生涯を座敷牢で終える結果となります。淡々と、木曽路の日常を書き、青山家に暮らす人々をこまやかに描き、時代の移り変わりを丁寧に書き込んでいます。


 30年ほど前、子どもたちを連れて、馬籠の坂道を登ったことがあります。坂の上に本陣跡がありました。あの場所で、こんな歴史があったのかと、いまさらながら遠くを望むような気持ちになります。また、いずれ、あの坂を歩いてみるかと思っています。




 


 

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思い込みにはまる [読書]

 思い込みによって、とんでもない失敗をすることがあります。佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書)を読んでいると、こんな場面に遭遇します。


 幸田文『流れる』について書かれた部分ですが・・・


 < きんとんと云えば体裁がいいがいんぎんの煮豆 >という幸田文の物の言い方について、佐藤正午は「慇懃無礼の慇懃である。したがっていんぎんの煮豆とは、ていねいに煮込むだけ煮込んだ、うわべだけそれらしくつくろった、中身(味)のともなわないキントンという意味になる。」と書いてしまう。


 後になって読者から、「いんぎん」とは隠元豆のことですよ・・・と知らされ、ひたすら恥じ入ることになる。『日本国語大辞典』の当該ページをコピーして送ってくれたかたもあったそうで、それによると「いんげん(隠元)の変化した語、いんげんまめ(隠元豆)に同じ」とのこと。なんともやるせなく、狼狽し、赤面する場面です。


 こんなことは、誰にでも、何回かはあるものでしょう。わたしにも思い出すたびに、穴に入りたくなる、人生をやり直したくなる、絶望に近い憂鬱な気分になる事柄がいくつもあります。


 ひとから指摘されたり、あとで自分が気づいたりしただけでも、数々あるのに、気の毒に思われて指摘されなかったり、気づけなかった場合を推計すると、ただただ生きてゆくのがイヤになります。荘子や兼好法師もそんな気分に沈んだ時があったのだろうと思いやって、「いのちながければ・・・」とつぶやいてみます。




 

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七つだち [読書]

 旧暦の季節感や、昔の時刻の呼び方を身につけるのは、なかなか難しいものです。池内紀『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)を読んでいると、「お江戸日本橋 七つだち・・・」という歌が出てきます。「七つ」とは早朝 4時ごろだそうです。暗いうちに出立して、十里先の戸塚に最初の宿を取るのが一般的だったようです。日の出は高輪あたりで「明け六つ」です。


 12時頃が「九つ」、2時頃が「八つ」と鐘の音で知らせる。ですから 2時頃は「お八つ」の時間です。「暮れ六つ」で日が沈む。


 また十二支で言えば、前回の小説家・佐藤正午の正午は昼の 12時で、夜中の 12時は正子です。丑は真夜中。落語などでおなじみですが、はっきりとは理解していない、またすぐ忘れてしまうことが多いようです。


 ふつか、みっか、というふうに日本では日のことを「か」と言います。「か読み」から「こよみ・暦」になったそうです。


  梅 若菜 鞠子の宿のとろろ汁 (芭蕉)



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