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金田一先生の事件簿 [読書]

  今日は「母の日」です。わたしは子供の頃は「オカーチャン」と呼んでいました。金田一春彦『ことばの歳時記』(新潮文庫)によると「おかあさん」という言葉は、比較的新しく、明治三十年ごろに文部省で作った小学校国語の教科書にはじめてお目見えした言葉だそうです。


 当時、東京では、士族は「オカカサマ」といい、町人は「オッカサン」と言っていて、その中間をとって「おかあさん」とう言葉ができたそうです。そういえば古典落語には「おかあさん」は出て来ないようです。


 岡茂雄『本屋風情』(角川ソフィア文庫)には金田一春彦のオトーサンの金田一京助の話が出てきます。大正十五年、岡書院を営んでいた著者は、柳田國男に「金田一君が畢生の仕事として、アイヌのユーカラの解説研究を欧文で書き上げ、学位論文として帝大に提出したが、だれも審査するものがなくて、付属図書館においたんで震災で焼けてしまった。」とのことで、金田一が落胆、消沈しているので、和文でもいいから、もう一度、思い直してやってくれるように勧めて、出版してやってくれないかと言われたそうです。


 そこで著者は、阿佐ヶ谷の金田一邸を訪ねる。「いかにもささやかな平屋建てが、ポツンと佇んでいた。玄関の扉といい、柱また壁といい、お世辞にも立派とはいえないどころか、正しくいえば、粗末極まる建物であった。」


 紆余曲折があって、金田一の草稿が進み出すと、相当な大冊になりそうだが、特殊な本だけに、どう考えても三、四十しか売れそうもなく、民間の出版社では歯がたたず、結局、財団法人・東洋文庫に引き受けてもらうことになり、昭和六年一月、『アイヌ叙事詩 ユーカラの研究』が出版される。


 金田一京助は石川啄木と同郷で、借金魔の啄木を支えたことが知られていますが、八十六歳になって書いた『私の歩いて来た道』という自叙伝では、『ユーカラの研究』の出版に関わる記述が、どうしたことか、ほとんど事実と相違していたそうです。


「先生はときどき、話を御自分のつごうのいいように、お作りになる風があって困った」と五十年来の弟子が、声をひそめて洩らしたそうです。 大きな仕事を成す人は、やはりどこか常人とは違うのだなぁと感服します。

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川を渡る [読書]

 東海道といえば箱根の関所とか大井川の川渡しが思い浮かびます。箱根には何度か行って、関所跡も見学したことがありますが、大井川はいつも、知らない間に新幹線で通り過ぎるだけです。


 川渡しといっても、大の大人を肩車して流水に腹まで浸かって大河を横切るのは、大変な労力だっただろうと思います。


 池内紀『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)は宿場跡を訪ね、歌川広重の五十三次シリーズを参照し、江戸時代の旅のようすを教えてくれます。


 駿州島田宿の西方に大井川の越場があり、幕末には川越人足が 650名いたそうです。日によって川の深さと川幅が変わるので渡し料も変化し、水量が帯下で 52文だそうです。今の 600円位でしょうか。肩車ではなく連台に乗ると、人足 が4人になり、値段は 6倍になるそうです。

 

 川越人足になるためには十二、三歳から修行に入り十五歳で見習い、厳しい審査のすえに採用され、五十歳で定年だそうです。


 明治になって架橋されるまで、大井川は江戸の防衛のため、橋も渡船も許されなかったそうですが、現実には南アルプスからの豊富な水流のため、橋を架けても、維持できなかったようです。明治 12年にできた蓬莱橋(897.4m)は木橋としては世界最長だそうです。いつかゆっくりと大井川を眺めてみたいものです。





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本の熱量 [読書]

 当地でも、きのうソメイヨシノが咲き出したようです。去年より5日遅く、例年並みとのことです。今年は熊野ザクラを見に行きたいと思っていたのですが、用事や腰痛で、出かけられませんでした。


 これから1週間ほどで、春爛漫となることでしょう。ブログの頭のサクラの写真は、5年ほど前に、京都御所の近くで撮ったものです。どんな用で行ったのかは、忘れました。


 島崎藤村『夜明け前』を読み終わったあと、河盛好蔵『藤村のパリ』(新潮社)を再読しました。20年ほど前に読んでいたのですが、あらかた内容は忘れていました。藤村のパリでの下宿のようす、特に下宿の女主人の年齢の調査、藤田嗣治などの画家との付き合い、第1次世界大戦が始まって疎開したリモージュのことなど、現地を何度も訪れ、詳細に記載されています。高齢にもかかわらず、河盛好蔵の旺盛な好奇心、探究心に驚嘆させられます。


 『夜明け前』の主人公・青山半蔵と少し重なって、江戸末期に生きた漢方医・澀江抽斎について、微細に調べ、史伝を書いたのは森鷗外です。無名に近い人物への執拗とも思える調査・探索には、鷗外の異様なほどの情熱が感じられます。


 『藤村のパリ』からは『澀江抽斎』に匹敵する情熱が伝わってきます。読書の醍醐味です。


  うらうらと照れる光にけぶりあひて

       咲きしづもれる山ざくら花 (若山牧水)




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夜明け前の坂 [読書]

 2週間ほど前、冷蔵庫の下の床に水が溜まっているので、ドアを開けてみると冷えていません。冷凍庫も解けています。いろんなところを触ってみましたが、冷えません。どうも壊れたようです。もう20年も使っているので、いたしかたないかと、諦めました。


 数日して注文した新しい冷蔵庫が届けられて、設置してもらいました。中が空なので、冷凍ストックなど、いつもより多く買い物をして、重いなと思いながら提げて帰りました。2日後から、腰痛に悩まされています。


 微妙なバランスで暮らしているので、少し負荷がかかるとこたえます。もう 70年も使っているので、いたしかたないかと、諦めます。


 7ケ月かかって、島崎藤村『夜明け前』(岩波文庫 全4冊)を読了しました。読むといっても文庫本は「字が小さくて読めない ! 」ので、週末ごとに、朗読してもらいました。ただ一人で黙読では、おもしろくても途中で投げ出したと思います。


 黒船来航の幕末から、明治20年代まで、中山道の馬籠宿を舞台に、藤村は父をモデルに、青山半蔵の一生を描きます。本陣・問屋に生まれた半蔵は平田篤胤の国学を学び、明治維新に王政復古の夢を抱き奔走しますが、維新後の政治に翻弄され、生涯を座敷牢で終える結果となります。淡々と、木曽路の日常を書き、青山家に暮らす人々をこまやかに描き、時代の移り変わりを丁寧に書き込んでいます。


 30年ほど前、子どもたちを連れて、馬籠の坂道を登ったことがあります。坂の上に本陣跡がありました。あの場所で、こんな歴史があったのかと、いまさらながら遠くを望むような気持ちになります。また、いずれ、あの坂を歩いてみるかと思っています。




 


 

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思い込みにはまる [読書]

 思い込みによって、とんでもない失敗をすることがあります。佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書)を読んでいると、こんな場面に遭遇します。


 幸田文『流れる』について書かれた部分ですが・・・


 < きんとんと云えば体裁がいいがいんぎんの煮豆 >という幸田文の物の言い方について、佐藤正午は「慇懃無礼の慇懃である。したがっていんぎんの煮豆とは、ていねいに煮込むだけ煮込んだ、うわべだけそれらしくつくろった、中身(味)のともなわないキントンという意味になる。」と書いてしまう。


 後になって読者から、「いんぎん」とは隠元豆のことですよ・・・と知らされ、ひたすら恥じ入ることになる。『日本国語大辞典』の当該ページをコピーして送ってくれたかたもあったそうで、それによると「いんげん(隠元)の変化した語、いんげんまめ(隠元豆)に同じ」とのこと。なんともやるせなく、狼狽し、赤面する場面です。


 こんなことは、誰にでも、何回かはあるものでしょう。わたしにも思い出すたびに、穴に入りたくなる、人生をやり直したくなる、絶望に近い憂鬱な気分になる事柄がいくつもあります。


 ひとから指摘されたり、あとで自分が気づいたりしただけでも、数々あるのに、気の毒に思われて指摘されなかったり、気づけなかった場合を推計すると、ただただ生きてゆくのがイヤになります。荘子や兼好法師もそんな気分に沈んだ時があったのだろうと思いやって、「いのちながければ・・・」とつぶやいてみます。




 

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七つだち [読書]

 旧暦の季節感や、昔の時刻の呼び方を身につけるのは、なかなか難しいものです。池内紀『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)を読んでいると、「お江戸日本橋 七つだち・・・」という歌が出てきます。「七つ」とは早朝 4時ごろだそうです。暗いうちに出立して、十里先の戸塚に最初の宿を取るのが一般的だったようです。日の出は高輪あたりで「明け六つ」です。


 12時頃が「九つ」、2時頃が「八つ」と鐘の音で知らせる。ですから 2時頃は「お八つ」の時間です。「暮れ六つ」で日が沈む。


 また十二支で言えば、前回の小説家・佐藤正午の正午は昼の 12時で、夜中の 12時は正子です。丑は真夜中。落語などでおなじみですが、はっきりとは理解していない、またすぐ忘れてしまうことが多いようです。


 ふつか、みっか、というふうに日本では日のことを「か」と言います。「か読み」から「こよみ・暦」になったそうです。


  梅 若菜 鞠子の宿のとろろ汁 (芭蕉)



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小説の楽しみ [読書]

 自分より年下のひとの小説は、何となく読む気がしないのですが、新書棚を眺めていると佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書)というのが目に止まって、つい買ってしまいました。

著者は 1955年生まれの小説家ですが、このひとの小説は読んだことはありません。


 <原則、僕が若い頃に(十代から二十代なかばまでの、まだ自分で小説を書き出す前に)好きで読んだ小説家の小説を、いま中年の小説家の目で読み返してみて何か書く>・・という本です。


 たとえば井伏鱒二『山椒魚』について、


 <一九二三年に中学生だった太宰治が、同人雑誌に発表された井伏鱒二の『山椒魚』を読んで「坐っておられなかったくらいに興奮した」という有名な話がある。(中略)僕は何とも言えないブルーな気分になった。一九七〇年頃に中学生だった僕は、国語の教科書に載っていた『山椒魚』を読んで、どちらかといえば「すわっていられないくらいに退屈した」ような記憶があったからである。>


 そこから出発して、『山椒魚』という小説の、変な書き方を列記していく。身振りの大げささや、変な言葉づかい、そして


 <不思議なことに『山椒魚』の作家は小説をうまく書こうとはしていない。> <素直なボールでは届かない、曲げなければ、ねじ曲がるくらいにカーブさせなければ小説は小説として読者に届けられないと信じて書いている。> <まっすぐなものを曲げる。それは方法である以前に、作者のそうしようという強い意志である。>


 こんな調子で『雪国』、『暗夜行路』、『こころ』、『青べか物語』、『夏の闇』など 25篇を取り上げて、小説家らしい読書感想文を書いています。目のつけどころがおもしろく、作家の特徴があぶり出されてきます。


 では、佐藤正午の小説を読んでみるか・・・とは、今のところ、まだ思ってはいませんが・・・。

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わたしの回想 [読書]

 南国の当地でも、今日はいっとき、雪が降りました。積もってはいませんが、奥山は薄っすらと雪化粧をしています。


 23日、東京へ出かけてきたのですが、途中、伊吹山や富士山は六合目くらいまで雪でしたが、都内は思うほど寒くはありませんでした。今は冷え込んでいることでしょう。


 数日前から、加藤周一『続 羊の歌ーわが回想』(岩波新書)を読んでいます。『続』は戦後の1945年9月から始まっています。本郷の病院の無給の副手で、病室に住み込み、診療と血液学の研究に没頭していたそうです。そして、東京帝国大学医学部と米国の軍医団が共同で広島へ送った「原子爆弾影響合同調査団」に参加し、広島の惨状をつぶさに見ています。


 <・・・広島で知合った L中尉を通じて、占領軍が徴用していた築地の聖路加病院の構内へ入る特別許可証をもらった。「許可なくして立入る者は射殺さるべし」と貼紙のしてある門のとこで、武装した衛兵にその許可証をみせると、私たちは米国人の医者や看護婦が往来している病院の廊下を通って図書室へ行くことができた。私はそこで新しい米国の医学雑誌をむさぼるように読んだ。(中略)そのために私はほとんど「蘭学事始」の昔を想い出した。>


 フランス政府給費留学生の試験を受け、給費生にはなれなかったようですが「半給費生」となり、旅費と生活費は自分持ちという条件で、1951年、フランスに渡ることになります。パリ・オルリー空港には前年の給費生である森有正などが出迎えてくれます。


 久しぶりに、森有正という名前を見ましたが、1970年ごろ、わたしには『バビロンの流れのほとりにて』という彼の本を、毎日、毎日、読んで過ごした日々がありました。どんなふうに生きていくか、さまよっていた時代です。


 西洋見物に出かけた加藤周一は、そこで第二の出発をし、「加藤周一」となる。いまさらながらの古い本ですが、いろんなところで「わたしの回想」にも繋がってきます。


 


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想いはめぐる [読書]

 二十年ほどまえ、信州・追分でお茶を飲みに入った店の前に、「油屋」という建物がありました。「あっ、ここが油屋か・・・」と、しみじみと眺めた憶えがあります。火事で焼け、往時とは変わっているはずとは思いましたが・・・。


 加藤周一『羊の歌ーわが回想』(岩波新書)を読んでいると、旧制中学生のころとして、こんな場面が出てきました。


 <ある日の午後、中仙道を沓掛の方へ向って散歩に出たとき、同じ方角へ向う長身痩躯の青年があった。どちらからともなく話しかけ、ならんで歩いているうちに、「ぼく立原です」とその青年がいったのである。立原は歩きながら、すすきの穂をひき抜いて、それを手にもてあそんでいた。(中略)私はそのとき立原道造の書いた詩を読んではいなかったがー従ってまだその魅力にとらわれてもいなかったが、彼の考えの明晰さに感心し、その人柄には、飾らない魅力があると思った。秋になって東京に帰った私は、油屋が焼けたということを聞いた。その火事のときに二階にひとりだけ住んでいた立原は、焼け死にそうになり、窓の格子を鋸で切り開いた消防手にやっと助け出されたという。>


 大学生のとき、数巻の『立原道造全集』をアパートの部屋に置いていた同級生がいました。「ふぅーん」と眺めた記憶があります。卒後三十年ほどして、専門関係の雑誌や、フォーク歌手・高田渡との関わりで彼の名前を見かけたことがありました。


 そういえば『千と千尋の神隠し』の湯屋の名前も「油屋」でした。宮崎駿も信州・追分に何か思いがあったのでしょうか。島崎藤村『夜明け前』にも、主人公・半蔵が中仙道・追分宿に泊まる場面が出てきます。追分は中仙道と北国街道の分岐点だそうです。 いろんなことに想いが回ります。





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ねころんで新書 [読書]

 本屋さんに「図書」(岩波書店の PR雑誌)が置いてあったので、もらって来ました。岩波新書創刊80年記念で <はじめての新書>という特集号です。いろんな人が新書にまつわる文章を寄せています。


 たとえば、津野海太郎は『戦争と読書ー水木しげる出征前手記』水木しげる・荒俣宏(角川新書)、『英語でよむ万葉集』リービ英雄(岩波新書)、『哲学者の誕生ーソクラテスをめぐる人々』納富信留(ちくま新書)の3冊を取り上げています。


 十代の頃から五十年以上にわたって、興味にまかせて、いろいろな新書を読んできましたが、どんな本が記憶に残っているかと思い浮かべると、案外、内容まで憶えているのは多くないようです。


 鯖田豊之『肉食の思想』(中公新書)

 本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書)

 M・ピーターセン『日本人の英語』(岩波新書)

 大平健『やさしさの精神病理』(岩波新書)

 水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)


 題に誘われて、つい手に取り、読みとばしてしまう新書が多く、思い出せば、そんな本もあったなぁという程度なのがほとんどです。


 今年は何から読もうかと、「図書」の近辺にあった加藤周一『羊の歌ーわが回想』(岩波新書)を買ってきました。1966−67年に「朝日ジャーナル」に連載され、68年に岩波新書になったものです。その頃、読まずに過ぎてしまって・・・頭の片隅に残ったままになっていたものです。言わば旬を過ぎた食物のような、岩波古書です。


 

 

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